【話題】「米アニメーション界から宮崎駿が出ない理由」 米学生アカデミー賞ファイナリストの日本人が語る [muffin★]
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- 投稿者:yt@news-poi | 2021年8月29日
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86641
「学生アカデミー賞」という賞をご存知だろうか。アメリカのアカデミー賞が主催する、学生版のオスカーで、過去の受賞者の方々の中にはピクサーで数々の作品を監督しているピート・ドクター監督や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のロバー ト・ゼメキス監督など、そうそうたる顔ぶれが名を連ねる。この学生アカデミー賞のアニメ部門ファイナリスト、中学を出て単身アメリカに渡った日本人女性23歳の田村鞠果さん。5月に大学を卒業をしたばかりで、10月の授賞結果を待つ田村さんにアメリカのアニメ界のこと、アメリカ作品と宮崎駿作品、細田守作品との違いを現地でどのように捉えられているかなどをインタビューで伺った。
抜粋
田村さんによると、やはりアメリカでも宮崎作品、細田作品の人気は根強いという。
――アメリカで気づいたのは、日本のアニメファンの多さです。自分の周りにも日本アニメが大好きな人たちが多く、日本アニメは海外の人にも沢山のインスピレーションを与えているんだということを実感しました。その中でも宮崎監督や細田監督の描く独特な世界観は沢山の人を惹きつけています。宮崎監督と細田監督作品のどちらからも感じるのが、「物語の全てのからくりを説明する必要はない」という姿勢です。起承転結はあるものの、お二人の作品には上に挙げたように、不思議さや曖昧さ、解釈の余地があります。そして、物語や世界観にそれぞれの監督の個性が色濃く出ているように思います。これはアメリカのアニメ作品との大きな違いだと感じます。
――アニメが大好きな友人達と一緒に、アメリカと日本のアニメの違いについて話すこともあります。その中で気づいたことは、アメリカのアニメ映画の世界観はとても綿密に作り込まれているものの、コンセプトはシンプルで簡潔なものが多いということです。例えば、『トイストーリー』なら、「もしおもちゃが本当に動いていたら?」ですし、『アナと雪の女王』は有名な童話「雪の女王」をモチーフにしています。しかし、宮崎監督や細田監督の作り出す世界は、ひと言では表せない、それぞれの監督達の「ワールド」があります。例えば『千と千尋の神隠し』には神様もいれば動物、龍もいて、形容し難いにもかかわらず、私たちはその世界を目の当たりにすれば夢中になります。常に主人公に焦点をおいて物語がどんどん進んでいくアメリカのアニメ映画に比べ、日本のアニメ映画は「監督達の描いた世界観に浸る」という楽しみ方ができるのではないかなと感じます。その独特な世界観が、海外でもファンの多い理由の一つだと思います。
この「シンプルで簡潔なもの」を求めるアメリカのアニメーションは、アメリカのアニメ界で宮崎監督や細田監督のような存在が出にくい大きな理由ではないかと田村さんは言う。
――私の思うアメリカと日本のアニメ作品の大きな違いは、日本アニメは「宮崎駿作品、細田守作品」など監督名で知られるのに対し、海外アニメは「ディズニー、ピクサー作品」などスタジオ名で知られるということです。もちろん、ジブリという名はひとつ通っているものですが、「スタジオジブリ作品」と聞くと、宮崎監督か故・高畑勲監督という個人を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。私なりにその理由を考察してみると、大きな理由の一つとして、アメリカのアニメ映画では「物語の分かりやすさ」が日本のアニメより重要視されていることにあると思います。物語を誰にでもわかりやすくするために、ディズニーやピクサーでは「ブレイントラスト」という会議があります。この会議では、他の作品を担当した監督や脚本家が集まり、作品のストーリーやメッセージが見る人に伝わるのか、そもそも観客の感情を引き出す物語か、平凡な話になっていないか、など正直な意見をぶつけて徹底的に話し合い、その結果監督の元のアイデアが大幅に変わることも多くあるといいます。
――そして監督は、その意見を受け止めてアイデアを練り直しつつ、自分のビジョンも守っていく、という作業が必要になります。そのため、いくら監督とはいえ、アメリカのアニメではその監督の個性が前面に出ることは日本に比べて少なくなるのだと考えます。また、アメリカのスタジオでは監督が作品ごとに変わることが多くあります。そのため、一人の監督がスタジオのブランドを確立することがないのです。どちらが正解、というのではもちろんありません。実際に、私はどちらの作品も大好きで、常にインスピレーションをもらっていますし、それぞれの強みがあると感じます。アメリカのスタジオのシステムの良いところは、沢山の人が監督になるチャンスがあり、それにより常に違った視点から物語が作られることだと思います。
全文はソースをご覧ください
アメリカ人の方が「俺に従え!」てなりそうなのに
アメリカは多種多様な人がいるから
誰にでもわかるように、
どんなバックグランド出身の人でもわかるように、
シンプルにならざるを得ないところがある
アニメに限らず他でもいろいろそういうところが見受けられる
作品内容の話じゃなく制作手法の話じゃね
それは、その原点である手塚治虫が多分ゲイだったからだ
それがロリコンの宮崎駿ら多くの青年に影響を与え、またそこから多くの若者に影響を与えていった
ゲイだのロリコンだの性的コンプレックスが核にあるから、わかりやすい内容ではなく
何となくおぼろげな世界観が作られていく
鳥山明は性的コンプレックスが感じられないから、単純な子供向けで分かりやすい作品になるんだろ
Drスランプ読んでないのか?
ウーロンがいなかったことになっている?
思想は共産党だけどそれが作品には反映されてない
高畑勲とはそこが違う
大江健三郎に近いかもね
思想はそうだけど軍事オタクでもあるのがクリエーターの業の深さw
風立ちぬなんて宮崎の趣味まんま。引退宣言したあとの作品だから鈴木Pも作らせてあげたんだろう。
それぞれの国にエンタメの天才がいていいじゃん?
得意不得意あるし
日本は昔から構図がとにかくかっこいい
漫画アニメ(止め絵から作る系)は得意なのはかっこいい構図作れるおかげ?
あと隙あらばリアルじゃない方向に行きたがる習性?
あちらは隙あらばリアルに寄せたがる
アメリカでメタル、パンク、カンフー映画、アニメ、ゲームにハマるヲタクは、スクールカーストの最下層
手塚に敵対心をもちつづけた結果、いまのスタイルになったんだとおもうが
手塚治虫に神の手を見た、ので決別したみたいな事いってたはず
宮崎駿や富野由悠季や押井守
ここらの世代は
アニメよりもアメリカの実写映画の影響を受けて物を作ってきた
日本のアニメをありがたがってるのは向こうのマニアだけなのを認識しろ
>>40
米じゃ名前すら出しちゃダメな人物になってるよ
評価されてるどころが汚点扱い
どっが上だという話じゃないことを理解しろパヨ
そいつはただの無知だから相手にすんな
ラセターは長年のセクハラを社員に暴露されてクビ
無茶苦茶嫌われてる
ピクサーで尊敬されてるのは創業者でコンピュータ科学者のエドウィン・キャットマル
CGで使われてるサブディビジョンサーフェスのアルゴリズムはキャットマルが考案した
作家性押し付けたりしない職人だろ。
特に最近の日本のアニメは原作物ばっかりでオリジナルがないから
余計に作家性は出せない。
日本はマンガ原作のテレビアニメ劇場アニメがたくさんあって
その部分は娯楽映画に近いんじゃないかな
それと差別化する意味で、宮崎とか細田は
映像表現と作家性にこだわる文芸映画風になる
不思議の国のアリス>>>千と千尋
宮崎 駿 『出発点―1979~1996』
手塚治虫に「神の手」をみた時、ぼくは彼と訣別した
まずぼくが手塚さんの影響を強くうけたという事実がある。小中学生のころのぼくは、まんがの中では彼の作品が一番好きでした。
それから、十八歳を過ぎて自分でまんがを描かなくてはならないと思ったときに、自分に染み込んでいる手塚さんの影響をどうやってこそぎ落とすか、ということが大変な重荷になりました。
ぼくは全然真似した覚えはないし実際似ていないんだけど、描いたものが手塚さんに似てると言われました。それは非常に屈辱感があったんです。
模写から入ればいいと言う人もいるけどぼくは、それではいけないと思い込んでいた。
本当に抜け出せたのは、東映動画に入ってからですね。二十三、四歳です。
これは先輩から聞いた話ですが、「西遊記」の製作に手塚さんが参加していたときに、挿入するエピソードとして、孫悟空の恋人の猿が悟空が帰ってみると死んでいた、という話を主張したという。
けれどなぜその猿が死ななくてはならないかという理由は、ないんです。「そのほうが感動するからだ」と手塚さんが言ったことを伝聞で知ったときに、もうこれで手塚治虫にはお別れができると、はっきり思いました。
そのあと、アニメーションに対して彼がやったことは何も評価できない。虫プロの仕事も、ぼくは好きじゃない。好きじゃないだけでなくおかしいと思います。
アニメーションに関してはーーこれだけはぼくが言う権利と幾ばくかの義務があると思うので言いますが
これまで手塚さんが喋ってきたこととか主張してきたことというのは、みんな間違いです。
なぜそういう不幸なことがおこったかと言えば、手塚さんの初期のまんがをみればわかるように、彼の出発がディズニーだったからだと思います。
日本には彼の教師となる人はいなかった。初期のものなどほとんど全くの模写なんです。
そこに彼は独自のストーリー性を持ち込んだ。持ち込んだけど、世界そのものはディズニーにものすごく影響されたまま作られた。
結局、おじいさんを超えることはできないという劣等感が彼の中にずっと残っていたんだと思います。
だから、「ファンタジア」を超えなきゃいけないとか「ピノキオ」を超えなきゃいけないとか、そういう強迫観念からずっと逃れられなかったとしか思えないーーぼくなりに解釈すれば。
https://flying-fantasy-garden.blogspot.com/2016/06/blog-post_20.html
ルネサンスの画家に例えると
駿=ダヴィンチ
富野=ミケランジェロ
押井=ボッティチェリ
庵野=ラファエロ
ティム・バートンの映画なんて絶対ブレイントラストとかやってないよなw
個性全開だしw
つうかブレイントラストってアニメというかディズニーだけなのかね
作家性の話か。
たしかにアメリカのアニメで突出した作家性がある作品って少ないな。
土壌の差かね。
日本ほど多様な漫画、ライトノベルの文化無いし。
それを求めてる人が少ないんだろうねえ。
カーズとかはジョン・ラセターワールド全開らしいよ
宮崎駿もカーズ見て泣いたとか言ってた
テックスアヴェリーの模倣ね
面白いけど
才能あるやついたとしても給料の話聞いただけでアニメーターの道に行かないんじゃねーかな
手取りで12万円が新人アニメ関係者の給料だからな。30年ぐらい変わってないだろ
しかもちゃんと書き上げて長時間労働でそれか
仮に給料が高くなったとしてもアニメしか興味ない人ばかり入ってくると駄目だな
日本のアニメ制作現場ブラックだよな
アニメーターの横田守氏もとうとう体壊して入院手術したし
入院費用稼がなならんから入院中からあちこちに仕事募集かけてるし
どうなのこれとは思った
この人の人生の方がフィクションっぽいよな
漫画化できそう
インタビューでも言葉を選んでイキらないようにしてるのが
今どきの優秀な若者らしい
アメリカは高いと聞いたけど本当なのかな?
だとしたら日本のアニメはちょっとまずいよな
声優はなぜか外車を何台も所有してる
声優もイベントで稼いでるからな。本業の吹き替えのみなら中々600万円の壁を超えれない
>>340
これ信じてるのは声豚だけ
声優はアニメだけで物凄く儲けてる
アニメ制作は日本で最大級に儲からないアニメーターという仕事と
最大級に儲けてる声優という仕事が同居してる極めてねじれた職場
よって、自ずとシンプルなものになる
それに対して日本アニメは内向きの村社会が対象になる
作り手は個人の思いや拘りを多く入れても受け入れてくれる
要は作品の良し悪しは、興行収益によって決まるのがハリウッドでは?
いくら米中でお金もらっても
日本が圧倒的すぎてね
バルサでスタメンとれるのに
中国行かないでしょ
トイストーリー4でラセター頼みだったのが露呈した
アナ雪2もあんなラストに
ジョン・ラセター氏が抜けたら
1990年代後半以降のディズニー低迷期再び
それは庵野世代くらいまでじゃね
それに昔の世代でも宮崎なんかは最初からアニメ志望でしょ
上段に構えなくてもAVでわかるやろ
2Dアニメは子供向け
3DCGアニメは全世代向けみたいに分けてて
大人向けのアニメを作ろうって脳が無い
最近はHBOとかネトフリで大人向けアニメつくろうとはしてるな。
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